「主イエス様の願い」(マルコ16章15節) ( 7.3/2023 )
「それから、イエスは彼らに言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。』」(15節)

イザヤ43章7節には、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」とあります。私たちが今いのちを与えられている理由は形造ってくださったお方の栄光の為です。では形造ってくださったお方の栄光、すなわち願いは一体何なのでしょうか。それは、出て行ってすべての造られた者に福音を宣べ伝えることです。そして、そのことがマルコ15章20節にその通りになったことが記されております。しかし現実の私共の生活は、日常に追われなかなか福音宣教のために時間を使うことができておりません。

ではどうすれば、主イエス様の願いを実現することができるのでしょうか。使徒の働きを見てみましょう。

1.彼らの現実 ヨハネ20章19節「弟子たちがいたところでは、ユダヤ人たちを恐れて戸に鍵がかけられていた。」

2.弟子たちを変えたもの 使徒の働き2章4節「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろのことばで話し始めた。」

3.聖霊に満たされるためには 使徒の働き1章14節「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」

いつも心を一つにして祈っている、そういうところに神がおいでになる。教会が祈りの教会になった。そのときに、奇跡が起こったのです。そして使徒の働き2章41節には「彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。」祈ったときに生活が変わってしまったというのです。祈りに手が生え、足が生えて神に実践させていただいたというのです。

さて、イエス様の願いは福音宣教、そしてそれを可能にした聖霊、そしてその条件であった祈りとは何なのでしょうか。それは傲慢な者を造り変える力をもったものでした。その傲慢とは、

・ペテロ(ルカ22章33節)「主よ、あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと覚悟はできております。」
・ヨハネ(ヨハネ13章23節)「弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。」
・イスカリオテのユダ(ヨハネ12章5節)「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

皆、最初は神がわからないのです。しかしもし祈るなら自分の姿がわかるのです。自分がどんなに傲慢な者なのか、そして自己破産して、自分と別れて神の御手に自分を委ねて、(こんな者ですけれども受け取っていただけますか)と神に祈り悔い改めるのです。そして祈り合って、砕かれて、互いにゆるし合って謙虚になって御霊によって歩みましょう。祈りを通して神に出会いましょう。
主イエス様の願いが実現し続けるためにはまずペテロやヨハネ、ユダから始めて祈り合う必要があったのです。

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