「神の愛のしるし」(ルカ24章39節) ( 9.10/2023 )
「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」(39節)

神様の救いのしるしって何なのでしょうか。わたくしは大分に遣わしていただきまして数名の方と知り合いになり、その方々のために祈ってまいりました。祈りが足らないのが一番の原因と思うのですが今も困難のただ中におられる方々がおられます。わたくしはこの数日間、主に(なぜですか)と祈り続けました。主の答えが与えられたのですが、それは私にとっては非常に厳しい、驚くようなお答えでありました。すなわち、それはローマ8章38節、39節だったのです。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」でした。すなわち、私たち祈り求めたのは経済的な助けでしたが、神が与えてくださったのは、主キリスト・イエスにある神の愛でした。

では、どうすれば神の愛を受け取れるのでしょうか?

ペテロがイエス様に水の上を歩いてみたいと言って許可を求めたところがございますが(マタイ14章30節)、私共も今この地上にあって陸地で生活しておりますが大波を被りながら歩いているのであって、見るべきところを間違えますと、沈み込んでしまうそんな人生なのではないかと思うのです。
すなわち、自分の財布を見ていると沈んでしまう、そんな人生なのです。でも、神様が望んでくださっているのは主イエス様を通して神様を知り信じる生活です(ヨハネ14章9節)。私たちには神がおられるのです。そして、主イエス様を見るようにしなければなりません。

ルカの福音書24章39節には「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。幽霊なら肉や骨はありません。見て分かるように、わたしにはあります。」すなわち、神の救いとは主イエス様の復活なのです。これは悪魔に勝った勝利の証拠です。

私たちのどんな問題よりも大きいのが神の愛です。わたくしどもの目をつけるべきところは復活された主イエス様だけです。決して他のものではないのです。大事なことは主イエス様が私共の罪を背負って十字架に贖いを成し遂げ、復活して救い(神に従う道)を与えてくださっているということです。「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。」人生の焦点、救いのしるしを成功や評価に置かないで復活の主イエス様に合わせてみませんか。何でも復活の主イエス様に祈ってお聞きしましょう。主の手と足を見ましょう。祈りの答えによれば、救いとは物ではなく、復活された主イエス様だったのです。

右往左往してしまう 死もいのちさえも大した問題ではないというのです。まして経済問題はなおさらです。大切なのは神の愛、すなわち復活の主イエス様の手と足でした。

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