「震える者たち」(ホセア11章10節) ( 9.17/2023 )
「彼らは主の後について行く。
主は獅子のようにほえる。
まことに主がほえると、
子らは西から震えながらやって来る。」(10節)

この11章には出エジプトからバビロンからの帰還までイスラエルの歴史を導かれた主の御心が記されています。1節は出エジプト、2節から7節は主から愛されながら主から離れて行きアッシリアに滅ぼされる様子が記され、8節9節には主の心の内が吐露されています。10節から12節は主について行く民の様子が記されています。特に特徴的なのは3点ございます。
第一に神の嘆き、第二に民の偽りと欺き、第三に震える民です。

1.神の嘆き(8節、9節)

「エフライムよ。わたしはどうして あなたを引き渡すことができるだろうか。 イスラエルよ。どうして あなたを見捨てることができるだろうか。…」アデマとツェボイムについては申命記29章23節を参照してください。民には欠けたところが沢山あったようです。アブラハムも妻を妹と偽って証言し、モーセも怒りに任せて岩を打ち、アデマやツェボイムは主の契約を捨て、ほかの神々のもとに行って仕え、それらを拝んでしまいました。

2.民の偽りと欺き(12節)

「わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで囲まれている。しかしユダは、なお神とともに歩み、聖なる方に対して忠実である。」もの凄くユダが高く上げられ、エフライムとイスラエルが下げられている表現で(ユダを讃えているのかな)、と感じますけれどもみことばである以上確実に真実が述べてあるのです。

3.震える民(10節、11節)

「彼らは主の後について行く。主は獅子のようにほえる。まことに主がほえると、子らは西から震えながらやって来る。」奴隷のくびきを絶って導き出す力は主にあるのです。

偶像に仕える愚かさと、偽りを抱えながら主に仕える民、そして主の命によって導き出される民。まるでクリスチャンの人生そのものです。最近物言わない偶像の力を注意しなければならないと感じていましたが、このホセア書のアッシリアやアデマなどの史実を考えますと神を認めない人間という偶像の危険であることを再確認しました。しかし、そんな偽りに囲まれていてもユダは忠実だった(ヨハネの黙示録2章10節参照)。すなわち忠実という特徴を持ちたいものだと思わされるのです。そして、主がほえてくださる時、私共の首にかかっている悪魔のくびきは断ち切られ自由にされて主に仕えるのです。

ひとりで悩まないで、たとえモノや、人や、様々な偶像の虜になっていても、みことばの通りに「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1章9節)まず電話番号を調べて、予約して、最寄りのキリスト教会を訪ねて、牧師先生と一緒に主に祈ってみませんか。主が獅子のようにほえる時、人生は一変します。(主は必ずあなたの時間と才能を贖ってくださいます。)  大分福音教会(097-567-5342)


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