「一人の預言者」(ホセア12章13節) ( 10.22/2023 )
「主は一人の預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、一人の預言者によっ
て、これを守られた。」(13節)

この12章にはヤコブの生涯が例として取り上げられています。彼には力がありました(4節)。しかし、神が望んでおられたのは彼の力ではなく一人の預言者でした(13節)。
「死に至るまで忠実でありなさい。」(ヨハネの黙示録2章10節)と励ましていただいても、主の憐れみが無ければ私共の救いは一瞬にして吹き飛ばされるのです。なぜなら、救いは私共のことではなく、一人の預言者と呼ばれている主イエス様のことだからです。このお方が内に来てくださるのです(ヨハネの黙示録3章20節)。

1. ヤコブ、その特徴は悔い改め

4節、彼は泣いて御使いに願いました。
どうしてそんな事態に陥ったのでしょうか。父親と兄を裏切り、だまし、逃げていたからです。そして彼の息子たちシメオンとレビも同じように人をだましました。
2節にございますが、主は生き方に応じてヤコブを罰し、行いに応じて報いをなさるお方なのです。主は私たちにも悔い改めの機会を与えてくださいます。(創世記35章3節、4節参照)

2.ヤコブ、その特徴は奴隷、すなわち罪の中にいた者

8節にありますように、富を得たヤコブは高ぶっていました。11節には、不法、そして偽りの礼拝があったことが描写されています。そんなエジプトの地、すなわち罪の中に居たヤコブに対して「しかしわたしは、エジプトの地にいたときから、あなたの神、主である。例祭の日のように、再びあなたを天幕に住まわせる。」(9節)と約束してくださっています。

3.ヤコブ、その特徴は一人の預言者を得た者

中心聖句に選ばせていただきました13節はモーセの事が語られています。すなわちヤコブはモーセを待たねばなりませんでした。ヤコブは自分の力で神と格闘した男です。でも、神の御計画、摂理はヤコブの力や悔い改めにあったのではなく、モーセにそして、主イエス様にありました。その真意は、ヨハネの黙示録7章14節
「そこで私が『私の主よ、あなたこそご存じです。』と言うと、長老は私に行った。『この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。』」

ヤコブと同様に私たちも、ホセア書12章14節「エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。彼の主は、その血の責任を彼の上に下し、彼のそしりに報いを返される。」という主のさばきを自分の力で受け止めることができる人は一人もいません。
エペソ6章12節「この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊」に対して
自分の罪が「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」(使徒の働き2章32節)すなわち、主イエス様を十字架につけたのだということを認め、悔い改めてイエス様を主とし、キリストとして信じたときに聖霊が人々に下ったように、私たちの生涯にも神は同じ聖霊の恵みを下さいます。
しかし、救いは私共の所有物ではなく救いを与えることのできる血を持っておられるお方は主イエス様だけなのです。

当時のエフライムは主イエス様が来られるのを待たなければなりませんでした。
しかし私たちは主イエス様という一人の預言者を既に持っているのです。この一人の預言者である主イエス様によってしか悪魔に対抗できないことを告白し、復活されている主イエス様にすがりましょう。礼拝の対象は私たちの熱心や聖さではなく、一人の預言者主イエス様であり、彼をそして内に住んでくださる御霊を遣わされた父なる神なのです。誠実と公正を守り、絶えず神を待ち望みましょう(6節、ヨハネ19章30節参照)。

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