「お父さん」(ルカ15章21節) ( 10.29/2023 )
「息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』」(21節)

主イエス様は、私共を造ってくださった神様をお父さんとして教えてくださっています。
救いとは、主イエス様が教えてくださったお父さんのもとに私共が帰ることなのです。
すなわち、救いとはお腹がいっぱいになることではないのです。あるご婦人はいつも魂の渇きが癒されることと表現されますが、天の父のもとに帰るとはいったいどんなことなのでしょうか。

まず構造的にご説明いたしますと、父なる神は私共が救われるために御子をこの地上に遣わしてくださいました。御子は悪魔の手に握られている人類の罪を贖うために十字架上で血の代価でもって私共を買戻してくださいました。そして、よみがえってくださって天に上り神の右に座してくださり私共のためにとりなしてくださっています。父なる神は聖霊を私共に遣わしてくださって新しいいのちとなってくださっています。主イエス様を信じるならこの地上に生きる間から新しく生まれさせて(1ペテロ1章3節)復活のいのちに生きるようにしてくださる。それがキリスト教です。

すなわち、天の父のもとに帰るには

第一に目的地がはっきりとしていないといけません。それは父の許です。父のもとに帰ることが救いです。ユダヤ人たちは自分たちにはモーセがいる。アブラハムの子孫であると言っていました。しかし、ヨハネ1章17節をお読みください。
ある町に身を持ち崩した人がおられました。しかし、幼い時に母親に連れていかれた教会を思い出して、礼拝に出席するようになりました。しかしサーカスに就職しても首になり、続いて労働組合に就職しましたがしばらくして彼は首になってしまいました。あるとき、彼は教会の集会中に突然立ち上がり証しをし始めました。皆、(新しい就職先が見つかったのかな)と耳を傾けていましたが、その証しはなんと、自分はお酒を辞めましたというものだったそうです。父なる神に出会う、そのために主イエス様を信じるということは人生の無くてならないものを得るということなのです。彼は主イエス様を信じて罪赦され父なる神と祈り交わる人生に入れられたのです。

第二にどんな理由を付けて帰るのかということですが、何の理由もいりません。神の賜物を受け取ることによって得るのです。
南北戦争のときに南軍のスパイが北軍に居ました。そして、それは明るみに出され彼は北軍の独房に収監されました。裁判の結果彼は死刑と決まりました。そしてそのスパイは毎日配給されるパンを受け取るごとに持って来てくれた兵士にリンカーンの悪口を言っていたそうです。そして、ついに一枚の紙切れが彼のもとに届きました。しかしそれは死刑執行の令状ではなく赦免状でした。なんと、彼の悪態を知っている兵士の一人が、彼のために大統領に赦免状を求めてくれていたのです。私たちにも救われるにふさわしい資格はないのです。けれども主イエス様がその救いを父なる神に求めてくださったのです。

第三に、だれが救いの恵みにあずかるのかということですが、すべての人ですが、もっと詳しくご説明しますと、すべての罪人です。すなわち、神に反逆しているすべての人です。なぜならば、最初のクリスチャンたちとして神が選ばれたのは、主イエス様を十字架につけることに賛成したエルサレムの住民たちでした。(使徒の働き2章14節〜41節参照)
バラバを赦し、イエスを十字架につけよと叫んだ人々(マタイ27章21節〜23節)が最初に救いに与かったと聖書は証言しています。これまで主イエス様を蔑んできた方であっても、今日、神が遣わしてくださった救い主である主イエス様を心にお迎えするならば彼は入ってきて食事を共にしてくださるのです(どんな寂しい人生の方もです)。
ある紳士が家賃の支払いに困っている家庭のためにお金を準備して訪問したそうです。「トントントン」とノックしました。中からは人がいる気配が伺われます。ゴソゴソゴソ!と音がしているのです。紳士は続いて「トントントン」とノックします。ゴソゴソゴソッ!と音がするのですが返事がありません。続いて「ドンドンドン」と強く紳士はドアをたたいたそうです。それでも開けてもらえません。仕方がないので広場中に響くような大きな音を立てて「バンバンバン!」とドアをたたいたそうです。けれども、その戸は閉じられたままでした。
数日後、その紳士はお金に困って家賃が支払えないでいるご家庭の奥さんに会いました。「実はねドアをたたいたのは私だよ。家賃を準備していたのだよ。」と打ち明けました。彼女は大家さんかと思っていたそうです。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15章16節)とあります。主が選ばれたのですから安心して救いを受け取ってください。

ルカ15章16節「豚の食べるいなご豆」が何であるのか気づいておられる方。イエス様は厳しい借金取りではありません。今日「トントントン」という音を聞いたらドアを開けて心の中に主イエス様を迎えてください。そうするなら、造り主である父なる神の愛が分かるようになり、聖霊によって復活のいのちにより生きる人生が始まります。あなたには天に父がおられます。
(参考図書;ムーデー著 「神の絶対恩寵」)

TOP