「キリストの日に備えて」(ピリピ1章10節) ( 11.21/2023 )
「キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり」(10節)

謝るくらいなら怒らんどけばいいのに、というのはある先生の奥様から聞いた言葉でした。けれども怒るには何か理由があったと思うのです。

神様も私共に試練を与えます。悲しみも与えます。どうしてなのでしょうか。聖書は私共のことをキリストの花嫁と言っています(ヨハネの黙示録19章7節)。すなわち、準備が必要なのです。キリストのお嫁さんとしてふさわしく整えられる必要があり、その為に試練が与えられるというのです。

すなわち、現状不完全であるということです。まだ成長途上です。愚かで弱くて失敗してしまう存在なのです。完全な人間はこの地上にいないのです。ですから、きよめられたというのは、過ちを犯さなくなるのではなく、心に責められるところのない者となることなのです。とがめなき状態になり、神に赦されて歩む生涯に入れられることです。

イエス・キリストは言われます。
「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。さばきを勝利に導くまで。」(マタイ12章20節)

弱さを取り除いてくださればよいのに、確かに取り除かれる日は来るのです。そして、どんなに苦しい中を通されても神様の恵みは十分なのです(2コリント12章9節)。

大切なことは、神様に背かないで、聖霊を憂えさせないで、本当に砕かれて、謙虚になって、十字架を仰いでいくことです。

信仰の害になるのは建前です。本心から隣人を赦すには十字架を信じて御霊に従って祈る必要があります。あなたが赦せとおっしゃるから赦しますとお祈りなさってください。人生が主イエス様の力によって変えられます。

神様の前に心が和らぐことが大切なのです。そうしますと、ヨハネ14章1節から3節、死を恐れないで主イエス様を神と信じて神と共に生活できるのです。弱さも過ちもすべてをお任せして、そして信じて。「神はあらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。」(ローマ8章29節)どんなに偉い方も主イエス様の胸に飛び込みましょう。

「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでに完成してくださると確信しています。」(ピリピ1章6節)

イエス様が神の国について語ってくださったところに、「地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。」(マルコ4章28節)があります。すなわち、だんだん、どんどん成長させていただけるのです。

「あなたがたの間に良い働きを始められた方は」(ピリピ1章6節)とありますので、へブル12章2節「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」すなわち、主イエス様ご自身に、そして彼の御霊である聖霊なるお方様に目を向け続けることが大切です。そして黙示録19章7節8節「私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」へと導いていただきましょう。

(参考図書;「聖くなれる」 仁科博雄著 ベラカ出版)

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