「神様の願い」(へブル1章1節〜2節) ( 12.3/2023 )
「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。」In the past God spoke to our ancestors through the prophets at many times and in various ways but in these last days he has spoken to us by his Son whom he appointed heir of all things and through whom also he made the universe.(1節、2節)

仏教は八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)を実践すれば、苦の原因を取り除き、苦を克服できると考えているそうです。すなわち、苦しみが無くなれば幸せになれるという思想のようです。けれども、キリスト教の世界の目指すところは人間の苦の解決ではなく、人が神との交わりに入れられることです。

1.神が捜し出してくださる。

創世記3章9節「神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。『あなたはどこにいるのか。』」But the Lord God called to the man “Where are you?”
ある有名な牧師が若いころ、仲間の牧師の娘を捜すのを手伝っていたそうです。けれども、とうとう見つからず、牧師は探すのを辞めてしまったそうです。しかし、数十年後、特伝に招かれた牧師は驚きました。駅まで迎えに来てくれた青年が失踪していた女の子だったのです。話によりますと、父親の牧師だけはあきらめることなく見つかるまで捜し続けてくれたのだそうです。そして、その女の子は神に立ち返って運転中涙を流し続けていたそうです。神は失われた者たちを諦めないお方です。

2.神が闇を解決してくださる。

1ヨハネ1章5節〜7節「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。」
This is the message we have heard from him and declare to you: God is light; in him there is no darkness at all. If we claim to have fellowship with him and yet walk in the darkness we lie and do not live out the truth. But if we walk in the light as he is in the light we have fellowship with one another and the blood of Jesus his Son purifies us from all sin.

闇とは何なのでしょうか。
ルカ10章25節から37節Jesus told him “Go and do likewise.”に強盗に襲われた人の隣人になったサマリア人の話があります。ルカ10章5節6節には「どの家に入っても」“When you enter a house first say ‘Peace to this house.’If someone who promotes peace is there your peace will rest on them; if not it will return to you.とあります。主イエス様はどんな人も愛するように命じられ、ご自身のいのちを捨ててくださいました。愛せない問題、これが闇です。
ある牧師の説教の中に「お前はどうなのか?」と神に問われたというフレーズがありました。わたくしも同様に自分自身の問題のために祈ったときに最後に示されたのは、自分自身の他者に対する問題でした。2コリント5章19節「背きの責任をこれに負わせず」For Christ’s love compels us because we are convinced that one died for all and therefore all died. 1ヨハネ1章7節「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」But if we walk in the light as he is in the light we have fellowship with one another and the blood of Jesus his Son purifies us from all sin.御子イエスの血で赦しきよめてくださるのです。

3.神にお任せの人生

1ヨハネ1章7節に勧められていますように闇を捨てて、光の中を歩みましょう。キリストと共に十字架に付けられたことを信じましょう。ガラテヤ6章14節「私も世に対して死んでしまいました。」May I never boast except in the cross of our Lord Jesus Christ through which the world has been crucified to me and I to the world.先週、小さな虫がいると思ってつかもうとして触れた瞬間驚きました。柔らかくなく堅いのです。生きているようで死んでしまっていたのです。そして、つかもうとして触った小さな力で、クッキーのくずのように崩れ落ちてしまいました。世に対して死んでしまっているとは弱い存在であるということです。でも、もしキリストの死と同じ状態になるならピリピ3章21節「キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」who by the power that enables him to bring everything under his control will transform our lowly bodies so that they will be like his glorious body.そして、コロサイ3章3節For you died and your life is now hidden with Christ in God.神の内に隠され平安の中に歩むのです。神の願いは強さではありません。神との交わりです。血潮によるきよめは副産物です。

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