「御霊のうめき、それが希望」(エゼキエル書36章22節〜31節) ( 12.31/2023 )
「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。」(27節)“And I will put my Spirit in you and move you to follow my decrees and be careful to keep my laws.”

今年、大分福音教会は1月12日(木)に旧会堂を売却し、6月21日(水)売却金と皆様のご献金によって新会堂建築がなされました。そして8月1日(火)、教会名称を大分福音キリスト教会から大分福音教会へ改称し、10月15日(日)献堂式を行いました。主が19年の歴史の中で大きな御業を見せてくださった年でした。また町中の人々も新会堂建築を通して神が生きておられることを見せていただいた年でした。そして先週火曜日に教団出版のベラカの聖書日課を通して主からエゼキエル書36章をいただきました。ですから、本日は今年最後の日ですので、主が「きよい水を注いですべての偶像からあなたがたをきよめる」(エゼキエル36章25節)と言われる主を信じて、私たちの内に主が生きておられることを見せていただく日とさせていただきましょう。

1.きよめを求め、導いておられるのは聖霊(エゼキエル書36章22節〜31節)

今、一人の牧師の前に罪を告白し、新しい人生に入れられるのかな、と思ってくださる皆さま、実は聖書のテキストを選ばれるのも主、そして、私たちの人生を導いておられるのも主。すなわち、人の前にではなく、わたくしたちは聖霊に導かれ、聖霊に対して応答しようとしているのです。

2.求められているのは主に従う人生に入ること(マタイ16章21節〜27節、ローマ8章26節)、けれども力が無い
 
悔い改めることはできるのです。しかし、どう歩めばよいのかが分からないのです。私たちは自分の過去を背負い、自分に正しく歩む資格があるかないかを推し量ります。しかし、皆罪人です。必要なのは自分を捨て主に従い始めることです。どうすれば、主に従う人生に入れられることができるのでしょうか。第一に必要なのは聖書のことば、第二に祈り、第三に主の御声を聴くまで祈り抜くことです。主のみことばが心に刺さり、祈りはじめ、突き抜けるのです。ユーチューブで古い車を修理する動画がありました。どんな車もよみがえるのです。私共の人生を御霊が癒し、御霊が運転することを求めておられます。ここにお集いの皆様は経済的な十字架を負ってこられた皆さまです。そして、本日はきよき生涯を歩むための十字架を負って主に従うことを御霊は求めておられます“Then Jesus said to his disciples 'Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me.(マタイ16章24節)'“。

一体、私たちは赦されることが本当に可能なのでしょうか。罪から離れられるのでしょうか。そのポイントは、御霊のうめきです。私たちが自分を赦せなくても、御霊が私たちを赦し、私たちが主の赦しを信じることができるようにとうめいてくださっているのです(ローマ8章26節)。“In the same way the Spirit helps us in our weakness. We do not know what we ought to pray for but the Spirit himself intercedes for us through wordless groans.”

3.公平に裁かれる父の厳しさ(1ペテロ1章13節〜25節)

まず第一に、パウロのようにバプテスマを受け、罪を洗い流すことが必要です(使徒22章16節)。そして主イエス様の再臨の日まで、すべての人は日ごとに悔い改める必要があります。けれども、罪を繰り返してしまって知ることは、神は公平に裁かれるということです。人は従うものの奴隷となるのです。もし、主を信じた後も悪魔に従った場合、悪魔が与えるものを受けなければなりません。それは決して容易なものではありません(ローマ6章16節参照)。こうして私たちは主をおそれることを学ぶのです。

まとめ

私たちは悔い改めることすらその資格がないように感じてしまう時はないでしょうか。けれども、今日の希望は御霊のうめきです。御霊のうめきを聞かせていただけるまで祈り抜いてみませんか。御霊はすでにあなたを赦し、御霊の思いを信じて受け取ることを求めて祈ってくださっています。“our old self was crucified with him.”(ローマ6章6節)

そして、ふるいにかけられるとき主イエス様に、「主よ。あなたがご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカ22章33節)とお答えするのではなく、「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」(ヨハネ21章17節)と御霊の祈りがご存知ですとお答えしましょう。「あなたがたのうちに授けて」救いの結果は、隣人の人生ではなく私たちの人生に現れます(詩編51編7節、イザヤ書43章25節、I have swept away your offenses like a cloud your sins like the morning mist.Return to mefor I have redeemed you.”44章22節参照)。

TOP