「泣いてはいけません。」(ヨハネの黙示録5章5節) ( 1.14/2024 )
「すると、長老の一人が私に言った。『泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。』」(5節)
Then one of the elders said to me “Do not weep! See the Lion of the tribe of Judah the Root of David has triumphed. He is able to open the scroll and its seven seals.”

5か条の御誓文の発表翌日慶応4年3月15日(1868年4月7日)五榜の掲示の高札が建てられました。その第三札には、キリスト教禁止が命じられ48日後(1868年5月25日)にはキリスト教と邪宗門と変更されますが1873年2月24日に廃止されます。

黙示録には主イエス様を信じる信仰のゆえに首を切られた人達のことが出てきます。日本にはたくさんの殉教者がいます。そして、その信仰を理解できない人たちが政治を行ってきたことも歴史が語っています。この黙示録5章の内容は涙で始まります。2節に「巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか」と問われたのですが3節、天でも地でも地の下でも、だれ一人その巻物を開くことのできる者、見るこのとのできる者がいない状況が続いていたということです。

涙はどの世界にも今もあるよと言われるかもしれませんが、黙示録には7節に子羊が登場して状況は一変します。

1.賛美は私たちが受けるものではなく、子羊が受けるもの

人生の悲しみの多くは、理解できないことが起こり自分の幸せが奪われることに対するものではないでしょうか。しかし、5節「ダビデの根が勝利したので」とありますが、悪魔に勝った者でなければ悪魔からくる問題に解決を与えることはできません。賛美を受けるのにふさわしいお方は勝利者である主イエス様です。

2.あなたの血によって人々を神のために贖い(9節)

賛美を受ける子羊はどうして問題を解決できるのでしょうか。その答えが9節です。私たち、全人類の罪のために十字架にかかってその血によって神のために贖いをしてくださいました。神のためにとありますように、贖われた者たちは神と和解することができます。

3.私たちの人生とどういう関係があるのか

性格の不一致というのは我が栄光のためにこれをつくりこれを仕立てた。と言われる神様がなされる業ですので生まれながらに持っているのです。ただ、9節「屠られて」とございますようにイエス・キリストが十字架の上で悪魔に対する支払いを完了してくださったゆえに、私たちには新しい人生が与えられたのです。
全然性格の違う者がただ悪魔から買い戻してくださった主イエス様をほめたたえて生きる人生に入れられるのです。

どうやってそんな人生が始まるのでしょうか。具体的には主イエス様の十字架の死が私の罪の身代わりであったと信じて、キリストの死とひとつになって自分も古い人生に死にましたということを信じるしるしとしての洗礼を神に対する反逆を悔い改めて信仰告白して受けることになります。たったそれだけ、と思われるかもしれませんがこれが人生を全く変えてしまうものなのです。

第一に、それは悪魔に対して自分はキリストのものだと告白できます。第二には聖霊を受けることができます。第三に、聖霊によって生きることができます。聖霊によって生きるときに性格の違う人を打ち負かすのではなく愛する人生に入れられるのです。なぜなら、あなたという車の運転席にキリストの御霊が座ってくださるからです。

ですから、キリストの御霊に生かされて生きる人々はキリストを賛美するのです。キリストの御霊、聖霊によって生きる人生に入れられないうちは、命までかけてキリストを信じることは理解できないのです。しかし、キリストを心の王座にお迎えするならば、隣人はしもべではなく愛の対象に変わるのです。キリストが悪魔に勝利されたので泣いてはいけないのです。

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