「苦しみには解決がある」(ヨハネの黙示録7章14節) ( 2.11/2024 )
“They are the ones who have come out of the time of terrible suffering. They have washed their robes and made them white in the blood of the Lamb.”(14)
「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。」

この7章の難しいところは、13節と14節ではないでしょうか。患難時代にあって9節に御座の前と子羊の前に立っている白い衣を着た数えきれないほどの群衆がいたということにも勝る問題は、この白い衣を身にまとった人たちはだれですか。どこから来たのですかと問われる場面です。事件が起こるときに必ず探されるのは動機です。原因を特定するのです。

ということで、14節を中心聖句に選んで三つの問題に絞ってみます。
第一は6章10節ではたましいが祭壇の下にいたのに、7章では御座の前と子羊の前に立っている問題。
第二は、衣を洗ったということは彼らは穢れに気づいた人々であったということ。
第三は、子羊の血で洗ったということは彼ら自身の功績ではなかったということ。

それで、イザヤ書25章8節が結論として引用されています。
「永久に死をのみ込まれる。神である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。主がそう語られたのだ。」
He will swallow up death forever.
The Lord and King will wipe away the tears
from everyone’s face.
He will remove the shame of his people
from the whole earth.
The Lord has spoken.

1.白い衣をまとった者たちが御座の前と子羊の前に立っていた(9節)

わたしたちの人生にはたて、横、高さ、等々いろいろな尺度があります。でも何よりも大切なのは御座の前と子羊の前に立つことです。患難時代の前に居る私たちも神の御前に生きることが大切です。

2.衣を洗った人々(14節)

神の前には隠し事はできません。先週は九州ケズィックコンベンションが開かれました。神の前に出るためです。毎週日曜日に礼拝がささげられるときにも、自宅で祈るときにも私たちに必要なのは聖さよりも前に認罪です。

3.子羊の血で白くした(14節)

私たちは罪を持ち続けるならば滅びてしまいます。なぜ、隠すのでしょう。なぜ、叫ぶのでしょう。心の内にその原因はあります。ただ、解決できない理由は自分で解決しようとしているからです。問題の解決は私たちの身代わりに死んでくださった主イエス様の血潮を信じることによって与えられるのです。They…and made them white in the blood of the Lamb.”(14)「子羊の血で白くしたのです。」

どんなところからでも主は救い出してくださいます。御霊によって歩む人見てみたくないですか。あなたの町のあなたの教会へ是非行ってみてください。そして、人ではなく主と出会ってくださって、聖霊が生きてくださる人生に入れられて救われてください。まず教会のチャイムを鳴らしてください。1コリント15章5節6節によりますと復活された主イエス様はその姿を多くの人々に現わされました。御子イエス様の血に触れてください。苦しみに解決が与えられます。

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