『限りなき愛』(エレミヤ31章1節〜3節) ( 3.17/2024 )
「主はこう言われる。『つるぎをのがれて生き残った民は、荒野で恵みを得た。
イスラエルが安息を求めた時、主は遠くから彼に現れた。
わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。
それゆえ、わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた』。」(エレミヤ31:1,3口語訳)
序. 昨日はイングリッシュ・パーティーでみ言葉を教わりました(詩編117:1)。
All you nations praise the LORD.(オール ユー ネイションズ プレイズ ザ ロード、)
All you people on earth praise him.(オール ユー ピープル オン アース プレイズ ヒム)
「すべての国々よ 主をほめたたえよ。すべての国民(くにたみ)よ 主をほめ歌え。」
世界の民は神の家族になれる、と。本当に戦争が止み、世界が一つとなるように祈ります。しかし、私の身近な家族・学校・職場・地域の中でも平和があるように、そして私と神さまとの関係にまず平和があるように、と祈ります。
1. 安息を求めた
 旧約聖書は、神の民、イスラエルの歴史です。それは迷い子の歴史です。まいごの羊のように、神さまから離れてウロウロしてきた歴史です。夕方になると、幼い児どもは泣くことが多いです。疲れがたまるのでしょう。大人でもなぜだか泣きたくなる時がないでしょうか。どこか心を置く安息地を求めているのではないでしょうか。
2. つるぎをのがれて生き残った
イスラエルの民が苦しみに遭った時、考えました。「自分はどうしてこうなったのか?どこから道を外れてしまったのか?」。それは、誘惑に誘われて父なる神から目を離し、他のものに寄って行き、神さまから背を向けて離れたところにあったのです。新約聖書に出てくる放蕩息子のように。
「なにかうまくいかない。けれども、何が悪いのかわからない。どこでそうなったのか、わからない。疲れた。もう休みたい。けれども、どうしたら、ここから抜け出せるのかわからない。誰か助けてください!神がいるなら私を救ってください」。これはかつての私の姿、思いでした。子どもの頃から教会に通い、罪を悔い改め、洗礼を受けました。しかし、高校の時、同性愛の罪を犯し、「神さまなんてうっとうしい。私は自分の生きたいように生きる」と、神さまを疎んじました。そこから親を心配させ、体も壊しました。浪人の後、大学に行くため、家を出て下宿しました。しかし、やがて友人と仲違いし、失恋し、震災を機に部活に冷め、アルバイトも辞め、何もかも失いました。お酒を飲んでみたが酔えず、「もう死んでもいいな」と一人でうずくまっていました。
3. 限りなき愛(永遠の愛)
 神さまは疲れきった私をあきらめないでもう一度神さまの元に帰らせてくださいました。徳島から福岡に、九州聖会という集会に母に誘われました。何もかも辞めてしまっていたので、断る理由がなく仕方なく行きました。自分の罪が知らされました。「自分は罪のために殺される!」その時、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」とイエス様の十字架によって、罪赦され、心が清められ、新しくされました。帰ると喜びがあふれ、聖書が分かるようになりました。そして、今、この罪の赦しの福音を伝える奉仕に与っています。私のために命がけで祈ってくださっていた祈りが背後にありました。
結.わたしのために死んでよみがえったイエス様のいのちによって生きる
(説教者;田代美雪牧師)

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