「私は滅んでしまう」(イザヤ6章5節) ( 3.24/2024 )
「私は言った。『ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。』」(5節)

'“How terrible it is for me!” I cried out. “I’m about to be destroyed! My mouth speaks sinful words. And I live among people who speak sinful words. Now I have seen the King with my own eyes. He is the Lord who rules over all.” '(Isaiah 6:5)

「神を見た感想は」とイザヤに問います時に、帰ってきた答えは「私は滅んでしまう」ということだったとイザヤ書6章に記されています。

1.イザヤの出会い

イザヤは神と出会わなければ私は滅びなかった。でも、神を見てしまったので私は滅びると言っています。

2.彼の滅びる、という叫びは悔い改め

悔い改めのしるしとは主への応答です。すなわち燃えさかる炭を口につけられあなたの罪は赦されたと聞いた時、続く8節で彼は「だれがわれわれのために行くだろうか。」という声に彼は「ここに私がおります。私を遣わしてください。」と答えています。すなわち、神が示された罪を赦してくださったことを受け止め、新たに知った神のみこころに応えて神に自分の人生をささげたからです。セラフィムに霊の力を与えたのは主イエス様です。きよめる力、救いを与える力、悪魔に勝つ力を与えたのも主イエス様です。そして主イエス様に霊のバプテスマを与える力を見ました。

3.私たちの出会い

ルカの福音書23章34節で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」という主イエス様の声を聴きます。しかし、当時の議員たちの声は「私は滅びる」、でもなく賛美でもなく、あざ笑い(ルカ23章35節)でした。現代にもこのようなことが起こっているのではないでしょうか。

万軍の主の姿を見た時に、イザヤは「私は滅びる」と言いました。それは、彼が想像していた神の姿と全く違っていたからではないでしょうか。
神の愛、神の栄光は全地に満ちています。しかし私たちの生活はどうでしょうか。イザヤと同様に私たちも主の御前に裁きから愛へと悔い改める必要があるのではないでしょうか。主への悔い改めの真価は後の歩みに現れます。まず主の十字架を見上げ、「ここに私がおります。私を遣わしてください。」と祈りましょう。明日ではなく今日主は御霊を与えてくださるのです。愛の源泉は主イエス様です。

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