「よみがえられた主イエス様」(ヨハネ21章14節) ( 3.31/2024 )
「イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現わされたのは、これですでに三度目である。」(14節)
'This was the third time Jesus appeared to his disciples after he was raised from the dead. '

1.神がわからない私たち(創世記3章8節)

「そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。」

神がわからなくなって神から逃げ回っているのが人間の罪の現実です。

2.死が定められた人間に死の解決を約束してくださった神(創世記3章15節)

「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」

主イエス様がわたくしたちの罪のために十字架にかかり、私たちの罪のために贖いを全うしてくださり、死からよみがえってくださいました。黄泉にいるような人生を送っている人も主イエス様はご自身の犠牲のゆえに救い出してくださいます(1ヨハネ4章10節)。

3.よみがえりのいのちの二つの意味

第一には悪魔の手から救われるという意味、二つ目の意味は主イエス様のように復活のからだをいただくことが出来るという意味です。復活の体は主イエス様の再臨の時に与えられます。本日は一つ目の意味に注目してみましょう。
本日の中心聖句には主イエス様が弟子たちに現れてくださったのは三度目であったと証言されています。(使徒の働き1章3節から11節、1コリント15章3節から8節も参照)そしてマルコ16章19節によりますと、主イエス様は弟子たちに語られたのち、天に上げられ、神の右の座に着かれました。今は聖霊を遣わしてくださっていつも共にいてくださいます。

さて、死を打ち破りよみがえって悪魔の頭を打ってくださった(創世記3章15節)事実は私共の人生のどこに現れるのでしょうか。

それは、主イエス様を信じ罪を悔い改め主イエス様に祈り聞き従う人生に現れます。使徒の働き3章3節にお金を求めた男が登場しています。しかし、彼が得たのはナザレのイエス・キリストの名によって歩くことでした。お金は神様でなくても与えることが出来るのです。しかし、神に従う人生は主イエス様にしか与えることが出来ないのです。きな粉に餅をまぶせるように人は罪に漬け込まれています。しかし、主イエス様を信じお従いするならば主イエス様には罪の中から立ち上がらせて歩ませる力があるのです。

救いとは、お金や自分の欲望ではなく主イエス様を求める人生が与えられるということです。主イエス様すなわち神との交わりが回復して神様が求められるように歩むことが出来るようになることです(ヨハネ5章19節、20節、30節参照)。
'Jesus answered “What I’m about to tell you is true. The Son can do nothing by himself. He can do only what he sees his Father doing. What the Father does the Son also does. ''This is because the Father loves the Son. The Father shows him everything he does. Yes and the Father will show the Son even greater works than these. And you will be amazed. ''I can do nothing by myself. I judge only as I hear. And my judging is fair. I do not try to please myself. I try to please the one who sent me. '(John 5:19、20、30)

ある宣教師の先生に、「どうして宣教地として日本を選んでくださったのですか」と質問しました。その答えは「100均でしか、日本を知りませんでした。あとは、お祈りしたらそのように示されました。」という答えでした。救われるということは、自分の欲望が満たされることではなく神様が望まれるとおりに生きるということです。死からのよみがえりとは、わかりやすく言いますと神に対する反逆心からの救いであり欲望からの救いです。もちろん、永遠の滅びからの救いも意味しています。詳しくはヨハネ5章28節、29節、2テサロニケ1章7節〜10節参照。神が望まれるように生きることが人生の命題なのです。すなわち主イエス様の御霊による以外に救いの道はないのです(使徒の働き4章12節)。

主イエス様は「すべての人を照らすまことの光」です(ヨハネ1章9節)。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイ1章21節)まず、主イエス様に「私を罪から救ってください」と祈りましょう。

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