「この身になりますように」(ルカ1章38節) ( 12.2/2024 ) |
「マリアは言った。『ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。』すると、御使いは彼女から去って行った。」(38節) '“I serve the Lord” Mary answered. “May it happen to me just as you said it would.” Then the angel left her.` (Luke 1:38) 神の御子イエス様がこの地上に人として来てくださるには人間の母胎が必要でした。そのために選ばれたのがマリアでした。その経緯がこのルカ1章に記されています。神は天使ガブリエルをマリアの許に遣わし、聖霊によって主があなたの内にお宿りになったと告げます。そしてあなたは男の子を生みその支配は代々に続くと告げます。それに対してマリアはどうしてそんなことが起こるでしょう。私は男の人を知りませんと自分が処女であることを告げるのです。しかし、ガブリエルは続いてこう告げます。聖霊があなたに臨みいと高き方の力があなたを覆うと。人間によってではなく聖霊によって受胎したのだと告げるのです。そしてエリサベツが不妊の女と言われていたのにすでに妊娠6か月になっていることを告げ、神には何でもできないことはないと知らせるのです。すると、マリアは即座に答えます。「私は主のはしためです。おことば通りこの身になりますように」と。 私たちにとっての聖霊の御業を考えてみましょう。問題点は自分を愛して神を愛することがなく、同様に自分を愛して隣人を愛することができない自我に支配されていることです。しかし主イエス様は十字架の上で私たちの咎を負い死からよみがえって贖いを完成し私達を十字架に共に死んだ者としてくださり御霊を送ってくださって自我からの救いの道を開いてくださっています。いったい私たちに足りないものは何なのでしょうか。それは、ご覧ください。私は主のはしためです。そうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように(1章38節)とお答えする信仰ではないでしょうか。マリアにとっては聖霊の力の約束とエリサベツの懐妊という知らせが御子イエス様を内にお宿しする従順の信仰の鍵となったのですが私たちにはいったい何が与えられているのでしょうか。 エゼキエル書には36章25節から27節に「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを行うようにする。」と、そして37章で見せられたのはすっかり干からびた骨だったのですがエゼキエルが命じられたとおりに預言しますと骨が生き返って非常に大きな集団となるところを見せられました。「私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立った。非常に大きな集団であった。」(エゼキエル書37章10節) 私たちはまだ十数人の集団ですが今後もお互いのうちに主の御霊の証を見せていただき(ヨハネ16章14節参照)マリアのように教会のエリサベツから励ましを受けましょう。神学校を卒業して20年沢山の聖徒たちを見送りクリスチャンに許されている特権を知りました。それは「…おことば通り、この身になりますように」です。 |
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