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「いつまで続くのか荒野」(アモス5章25節) ( 2.9/2025 ) |
「イスラエルの家よ、あなたがたは荒野にいた四十年の間に、いけにえとささげ物をわたしのところに携えてきたことがあったか。」(25節) '“People of Israel did you bring me sacrifices and offerings for 40 years in the desert? .` (Amos 5:25) イスラエルはカナンの地の産物を過ぎ越しの祭りでささげた日以来、マナで養われることは無くなりました。25節、荒野の40年の間いけにえとささげ物を携えて来たことがあったかとはどういう意味なのでしょうか。すなわち、旅路にあって主の雲に導かれたイスラエルの民が主に供えるための穀物を栽培することはできなかったのです。 その答えは26節、彼らは偶像を持ち運んでいたのです。南ユダ王国にも紀元前640年から609年のヨシヤ王の時代まで(2列王23章4節)偶像礼拝が行われていました。罪の力とはなんと根深く力強いことでしょうか。 わたくしも自分自身のことを省みましても罪の力の凄まじさに恐れをなします。すなわち主に養われながら罪を持ち続ける愚かさから離れられないという問題です。主のご命令は、 「公正を水のように、義を絶えず流れる谷川のように、流れさせよ。」(24節)です。 わたくしはマルコ5章のレギオンであることを認め主に祈りました。(助けてください)と。 主イエス様は祈りに応えてくださる救い主でした。あなたの人生にまことの神以外の偶像はないでしょうか。主に助けを求めて祈るなら救いはあなたにも与えられるのです。 怒りが静められない時、困難で死にそうな時、行く先が見えなくて怖い時、私たちは何を神にささげればよいのでしょうか。神は荒野を通り過ぎられるのです。すなわち暗闇が主の在し給うところです。そこに主は義を求めておられます。偶像を悔い改めるまで荒野は続くのです。 |
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