「上からの恵みによる新生」(ヨハネ3章14節、15節) ( 4.6/2025 )
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3章14節、15節)
'Moses lifted up the snake in the desert. In the same way the Son of Man must also be lifted up. 'Then everyone who believes may have eternal life in him.” '(John 3:14-15)

ヨハネ3章3節の新生(罪を悔い改めて主イエス様を信じること)の「新」はギリシャ語では(アナー)すなわち「上から」という意味でヨハネ1章12節、神様の側でそう取り決めたので性急に不十分なところをつっつかず、神に任せなさいという意味です。新生には三つの主な意味があります。

一つ目は神の種を持つということ(1ヨハネ3章9節)、
二つ目は霊的によみがえった者となったということ(エペソ2章5節6節)、
三つめは新しく造られた者となった(2コリント5章17節、エレミヤ18章6節)ということです。
一つ目の神の種を持つ者とは「神から生まれた者」すなわち神を親に持つ種なので彼と同じ性質を持っているというのです。主のご再臨の際には主イエスと同じ栄光のからだに変えられて、もはや死も指一本触れられないからだになります。そのための種です。二つ目の霊的復活とは罪が分かるようになったということ、三つ目の新創造とは、朝ごとに自分の弱さもひっくるめて神様にお任せするようになったということです。

そしてこの三つは「上から」すなわち恵みによってなされるのです。すなわち蛇の毒を消したのが神様の御業であったように救いも神様の御業だということです。ゆえに第一に罪の塊を主イエス様にお任せします。そして第二はよみがえりも主イエス様にお任せします。ペテロは復活された主イエス様によって新しい命が私のうちに注がれてきた(1ペテロ1章3節)と告白し伝道者となり悪魔に勝ち殉教したと言われています。

では、新生とは具体的にはどんな生活なのでしょうか。それが聖書のことばです。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きたいつまでも残る、神のことばによるのです。」(1ペテロ1章23節)朽ちない種、生けるみことばは時が来ると必ず芽生えます。

ニコデモに語られたのは十字架のイエス様を仰ぎ見ることだけでした(民数記21章9節)。同様に私たちも仰ぎ見て毒が消えるなんて理窟では納得できないかもしれませんが謙虚になってキリストを見上げましょう。毒を負って頂きましょう。私たちにできることは悔い改めですが、神がご準備くださったのは主イエス様とその救いです(エペソ2章4節5節)。そして一番体験したいのはルカ9章24節失うことと、神が与えてくださる命です(1ヨハネ5章4節)。みことばは神によって完成するのです。大切に保ちましょう。

(参考;東京聖書学院教会 小林和夫牧師の説教)

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