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「友だから」(ヨハネ15章15節) ( 6.8/2025 ) |
「わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。」 'I do not call you slaves anymore. Slaves do not know their master’s business. Instead I have called you friends. I have told you everything I learned from my Father.`(John 15:15) 聖霊が御くだりくださったのがペンテコステです。先週ある牧師がある東北地方の教会のお証をしてくださいました。ある先生が着任している間、その教会の台所はピシッと綺麗に整えられていたそうです。すなわち、聖霊が来てくださるということは、私共の家の家主に聖霊が着任くださるということです。何でも家主の聖霊にご相談したらよいのです。家主が責任をもって良い時に最善の修繕をしてくださるのです。(もう楽ちん楽ちんの人生です。)もしあなたの命までお任せになるなら、きっとそうなります。聖霊が来てくださった人生とは、 1.ぶどうの木 樹液がぶどうの木をめぐるように、主イエス様が私たちの内をめぐるのです。 2.あなたを友と呼んでくださる主 しもべではなく友だと言ってくださるのですが19節、世以上に神を愛するとき世から憎まれます。けれどもそれは21節世が父なる神を知らないからであり、26節父から出る真理の御霊が来るとき、その方が主イエス様について証してくださるのです。そして、その時まで苦難があっても慰めもあります。それは18節イエス様だけは先に同じ苦難を受けてくださったからです。そして19節20節は圧巻です。隣人を愛してみてください。世はあなたを憎むよというのです。でも、私たちは隣人を愛して世から憎まれる人生に神によって召されたのです。すなわち、 3.決して見捨てない(ヨハネ14章18節) 「あなたを孤児にはしない。」と約束されています。ところが、それを多くのクリスチャンは信じ切れていません。なぜでしょうか。罪を犯すからです。けれども、そんな罪人を救うために来た(ルカ5章32節)と主イエス様は言ってくださっていて、私たちにはもう誇れるところは残っていないのです。ラハブは自分だけでなく自分の家族の救いのために、そして歴史上主イエスの救いに与るすべての人のために用いられましたが(マタイ1章5節)、その彼女には自分が罪人だからという遠慮はなく、ただ神が斥候を彼女の家に入れられたとき、斥候をかくまい神の救いを求めました(ヨシュア2章13節)。私共の希望は主イエス様の福音です。自分の生活ではないのです。自分のきよさではなく「あなたを孤児にはしない」と約束してくださるお方だけが福音(良い知らせ)なのです。 主は6人目の恋人と共に生きる女性と語らい(ヨハネ4章)、姦淫の女を助け(ヨハネ8章)自らは人々から憎まれ殺されました。あなたを生かすのは主人の命令ではなく主人の心です。それが主(友)の見捨てない心だからです。クリスチャンでおれるのは自分のきよさによるのではなく、自分の罪と聖霊によるのです(ヨハネ15章24節〜27節)。ですから、自分ではなくこのお方と語らうべきなのです。 |
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