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「老人を敬え」(レビ記19章32節) ( 6.15/2025 ) |
「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 ‘Stand up in order to show your respect for old people. Also have respect for me. I am the Lord your God.`(Leviticus 19:32) 本日は父の日礼拝です。目上の人を敬うことは神の御心です。けれども、神の恵みがなければ息子も娘も知恵が足らず、父親に対して大変失礼な態度をとってしまいがちです。また何にも増して、自分自身のうちにある他人に従いたくないという自我を処理する力が欠けていることも問題です。まず基本的に 1.父と母を敬え 出エジプト記20章12節「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」 2.老人の前では起立せよ レビ記19章32節「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 3.重婚回避 私たちは自我を処分せずにキリストを信じていけるのかと言いますとそれは重婚ということで、無理なのです。ゆえに神は、キリストの死によって自我に死に別れさせてくださったのです。へブル9章17節「遺言は人が死んだときに初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間には、決して効力を持ちません。」キリストは私たちと共に十字架について死んでくださいました。ガラテヤ2章19節20節「しかし、私は律法に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」ガラテヤ5章24節「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。」すでに自我が死んでいるからその恵みを受け入れて行くのです。では、キリストが内に生きておられるとは内にあってキリストが支配者であるという意味ですが、神の愛に生かされ御霊によって進むのです。(ガラテヤ5章25節) 昔、母教会で大失態をしました。ところが、わたくしはその教会を追い出されることなく、受け入れ続けていただき、その私を赦してくださった方々は私が東北の教会でご奉仕しているときに応援伝道に来てくださいました。すなわち、罪深い私は福岡教会という大きな愛の中に飲み込まれ、東北にまで持ち運ばれてもなおも神の愛に浴したのです。 私たちのこれから生きて行くべき使信は、自我ではなくガラテヤ2章20節「私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰」です。すなわち、私のうちに愛の神が生きてくださるのです。あなたは神の愛に飲み込まれた存在なのです(ヨナ1章17節)。 |
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