「主の来臨の目的」(マタイ5章17節) ( 8.10/2025 )
「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」(17節)

'“Do not think I have come to get rid of what is written in the Law or in the Prophets. I have not come to do this. Instead I have come to fulfill what is written.`(Matthew 5:17)

1.旧約聖書の成就 「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」(マタイ5章17節)律法や預言者とは旧約聖書全体を指しています。そしてやがて義、すなわち救いが現れるというのがそのメッセージです。主イエス様は神ですが、全き人でもあります。歴史上だれも律法を行うことができた人はいなかったのですが、このイエス様が人として来てくださって人類の代表であるかの如く律法を完全に行ってくださって、行いによる義ではなく、彼を信じる者のために彼と一つになる者たちのために信仰によって義とされる道、すなわち救いの道を開いてくださいました。

2.罪人を招くため マタイ9章13節「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」すなわち、自分は正しい人生を送っていると思っている人は救われることはできません。けれども、自分は神に受け入れて頂けるような人間ではないと感じている人を主イエス様は招いておられます。すなわち、主はその人と温かい交わりをしてくださるというのです。

3.真の平和を与えるため マタイ10章34節 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」すなわち、主イエス様を神として生きる人生に招くために私たちは選ばれたのです。それは地上の富や健康など人為的な平和の上に立つ生活ではなく、神を信じる人生であり神に一切をお任せした人生です。マタイ6章29節「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。」

4.奉仕と贖いのため マタイ20章28節 「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」主イエス様は今も仕える者として立ち働いていてくださいます。そして私たちの救いの目測は贖いとしての主イエス様のいのちの代価に依拠しています。

罪人と温かい交わりを持ってくださる主イエス様を救い主として信じ仰ぎお任せし、お従いしつつ過ごしましょう。み旨の成ることを信じて。律法は主イエス様によって既に成就したのです。

(参考;東京聖書学院教会 小林和夫牧師の説教)

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