『福音の実』(コロサイ1章24節〜29節) ( 8.17/2025 )
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(27節)
‘And here is what it is. Christ is in you. He is your hope of glory.`
(Colossians 1:27)
序. 私達はなぜ礼拝をささげるのか。その信仰にいのちがあるかが問題。

1.実を結ぶ福音

福音はグッド・ニュース。世には様々な知識がある。私達が日頃求める知識はどのようなものか?私たちの人生の総決算は実に譬えられる。私達の日頃求めるもの、過ごす時間、思いが最終的に実になるとしたら?私は最後に実を結ぶ枝となっているか?しかも、それは神の前に善い実であるだろうか?

なくてはならない知識は永遠に関わる知識。教会はすでに「聞いた」者。しかし、それを日々確認しているか?著者はこの知識に進むことを祈る(:9)。「高い山に登れ」(今月のグッド・ニュース)。途中の低い道は霧が多くて、足を踏み外す危険が多い。クリスチャンが霧の上に出る道、『全幅の福音』、『きよめ』を知ることが神の願い。コロサイ書はその良いテキスト。今日の中心聖句に「この奥義とは、キリスト」とある。礼拝の中心は死してよみがえられたキリスト。礼拝ではキリストにある望みが語られる。

コロサイの名前の由来は「巨像」。私たちは神を小さく見積もり過ぎる。「神はなぜ・・・?」。まるでどこかの政治家かであるかのように。神の知識は測りがたい(ローマ11:33)。キリストは宇宙の創造者、また保持者。そのキリストが教会のかしら。教会はキリストのからだ。この小さな礼拝堂に、入りきらないキリストが満ちている。それどころではない。かつて神抜きの生活をしていた、高慢で愛のない汚れたこの私の心に住まわれる。これが奥義。新約で明かされた秘密。

2. 善い実を結ぶ

このキリストを知る知識は、やっとの実を結ぶ人生ではない。善い実。私達一人一人は小さな宣教師。海外でなくても自分の家庭の中に遣わされている。また、友人の中に、職場に、地域に。私達は会話の中で何を伝えたいのだろうか?世の中を得に生きていく、墓場までしか持っていくことのできない処世術か?永遠の命びろいをするための方法か?人が空中に出てパラシュートの開き方が分からなければ死に至る。永遠の滅びに向かう罪人に救いの方法を知らせなければ死に至る。その方法とは、「罪の赦し」。私はそこが曖昧ではないか?そこが曖昧だとキリストと私、かしらと体のつながりがグラグラする。

3.種を残す実を結ぶ

もし、罪の赦し、徹底した悔い改めが為されたら、神のいのちは動き出す。周りに命が増え広がって行く。忍耐(困難に対して屈しない性質)と寛容(悪にすばやく報復をしない自制心)を持って宣教に苦闘できる。一人から一つの教会でも生まれる。この永遠の望みを得るためキリストの愛を信じ主の手に任せよう。
(説教者;田代美雪牧師)

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