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「エドムへの裁き」(オバデヤ書21節) ( 8.25/2025 ) |
「救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。 こうして、王国は主のものとなる。」(21節) 'Leaders from Mount Zion will go and rule over the mountains of Esau. And the kingdom will belong to the Lord. `(Obadiah 1:21) エドム人への主からの幻がこのオバデヤ書の内容です。エドム人とはエサウの子孫で、エサウとはイサクの長子ですが双子の弟がヤコブ、すなわちイスラエルです。 エサウとエサウの子孫であるエドム人のたどった人生は神を認めず自分の力によって生きる人生でした。そしてその刈り取りをすることになるというのがこのオバデヤ書のメッセージです。そしてその幻とは、神を神として歩まない人生を歩む人にも主の日すなわち神による裁きの時が迫っているというのです。(15節)。 聖書を読んでわかることは、死というのは神を認めず神に背いた結果人類が得たものです。主イエス様が再び来られる主の日を待たずとも、日々肉体の死が近づいている私たちですがこのオバデヤ書を通していくつかのことが分かります。 1.人間的弱さをかかえたヤコブという弟をもち、その弟は弱さの中でも神に頼って生きた人物であったが、神を求めたヤコブとその子孫を神は祝福された。アッシリアやバビロンによる捕囚生活を通りますが、約束通り70年後に回復された(エレミヤ29章10節)。 2,神を認めない人生を選択したエサウとその子孫は、血を分けた兄弟であるイスラエルを赦し愛することができなかった(11節〜14節)。そして主の裁きに遭う(18節〜20節)。 3.主すなわち神を認めないエドム人を主がご自身のものとしてくださる日が来る(21節)。 エドムが主のものとされるとはどういうことを意味しているのでしょうか。それは、主が地上に来てくださったとき、主イエス様は私共の罪を負って十字架にかかってくださいました。エドム人がこの主イエス様に似た者にされることが主のものとされるという意味ではないでしょうか。 神が私たちに与えてくださったお方それは、神のひとり子でした。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節) 私たちにどんなにエドムに似ている部分があったとしても、今日から、神様はみことばによって造り変え、主のものとなる、すなわち神の愛に生きる者として導いてくださるのです。 |
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