『今に至るまで助けられた』(第一サムエル7章5節〜13節) ( 9.14/2025 )
「『主は今に至るまでわれわれを助けられた』エベネゼルと名づけた」(#9363;口語)

'He named it Ebenezer. He said “The Lord has helped us every step
of the way.` (1Samuel 7:12)

序. 教会創立21周年。感謝を覚えたい。

1.今に至るまで助けられた

小菅剛師が函館の20周年誌の巻頭言にこう書いています。「その線路作りは並大抵の苦労ではなかった。線路ができれば汽車は走る。有形無形の労苦である。…コリント教会、ローマ教会もみなこの戦いがあった。」この教会の始まりも大きな痛みから始まりました。教会が移る前の牧師先生が会堂を持って教団を離脱しました。その牧師についていくことを拒否し、教団に残る群れは会堂を失いました。その教会に残っていれば安定した礼拝が出来たのですが、安定より福音の純粋さを採って、その会堂を出ました。不思議なように一週間の間に礼拝場所が与えられ、羽田の会堂からこの教会の歴史は始まりました。
数人の群れでしたが、九州教区から先生が毎週送られ、春に後藤牧師一家を迎えることができました。そしてこの教会の線路作りを苦闘しながらの9年間作り上げてくださいました。設立後すぐに無くなるのではないかと思われたこの群れを神さまはここまで守り導き、信徒を加えてくださり、新会堂を与え、このような礼拝を献げる恵みに至っています。神さまの憐みのほかありません。

2.このような者まで助けられた

「ここまで」という言葉に「このような者まで」という響きも感じる。私たちは決して合格点のクリスチャンではない。むしろ欠けだらけの歴史であった。イスラエルの民がそうであったように。以前、ある教会の記念誌を読み、ある先生の証しに「役員夫婦が教会に来られなくなりました。…私の内面についての深い取り扱いの時となりました」という文を見てショックを受けた。「この先生でもそんなことが」。私達の牧会の中にも同じことが起こった時、その文章を思い出しました。牧師としての至らなさを思い、申し訳ない気持ちしかありません。しかし、その痛みを共有したメンバーは、会堂建築の際、心を一つにすることができました。その「痛み」が船の錨のように、互いの意見の違いの波が起きても、乗り越えさせてくれました。失敗だらけの歴史。しかし、「こんな者まで」神は見捨てず、イエス様の義のゆえに赦し、私達を義と見てくださるのです。神のご恩寵。

3.これからも

今、ベラカではサムエル記。サウルとダビデの違いは何か?ダビデは大罪を犯したが、神に立ち返り平安な晩年を。サウルは悲劇の最期。その違いは、神を愛していたかどうか、にある。私たちは平和な時に「自分は不動だ」と思うが、一瞬で悩みに突き落とされる。弱い人間。神が、私の心の真ん中におられなければ、人は立っていけない(詩編30編)。認知症など、意識して自制できない時に本当の姿が見られると思う。一日でも「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。『何の喜びもない』という年月が近づく前に」。主を愛しましょう。
(説教者;田代美雪牧師)

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