「逃亡者へ愛」(ヨナ書1章10節) ( 9.28/2025 )
「人々は非常に恐れて、彼に『なんということをしたのか』と言った。人々は、ヨナが彼らに告げたことによって、彼が主の御顔を避けて逃れようとしていることを知ったからである。」(10節 旧1577) 

'They found out he was running away from the Lord . That’s because he had told them. Then they became terrified. So they asked him “How could you do a thing like that?” `
(Jonah 1:10)

神は罪過の責任に代えて和解の福音を私たちに委ねてくださいました(2コリント5章19節 新361)。そして、時が良くても悪くても福音を伝えることを命じておられます(2テモテ4章2節 新429)。けれども、伝える相手を恐れてしまったり、赦し愛することができなかったり、私たちは主の御顔を避けて逃れようとしてしまいます。まるでヨナのようです。主はどのように逃亡者に接してくださっているのでしょうか。

1.大魚による愛

ヨナ書1章17節 旧1578 「主は大きな魚を備えて、ヨナを飲み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」

2.みことばによる愛

イザヤ書46章1節〜4節、9節10節 旧1245
「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は、疲れた動物の荷物となって運ばれる。彼らはともにかがみ、ひざまずく。重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべてのすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。」「遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。」(遠い大昔のこと;創世記1章1節、出エジプト記12章37節、40節 旧120参照)

3.御霊による愛

詩篇139篇7節〜10節 旧1080。
「私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。たとえ 私が天に上っても そこにあなたはおられ 私がよみに床を設けても そこにあなたはおられます。私が暁の翼を駆って 海の果てに住んでも そこでも あなたの御手が私を導き あなたの右の手が私を捕らえます。」

福音を委ねられながら使命を果たすことなく逃亡する者に神がしてくださったことは、大魚に飲ませ、白髪となるまで背負い救い出し、神の御霊によって語り続けてくださることでした。「あなたの御霊から離れて、どこへ逃れられるでしょう。」(詩篇139篇7節 旧1080)「主は大きな魚を備えて、ヨナを飲み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」(ヨナ書1章17節)  旧1578 罪人同士の他人の裁きや軽蔑や、うっとうしいことはたくさんあるでしょう。すなわち、人々は「なんということをしたのか」と言うでしょう。一方、大切な存在ほど、私たちの意に反して取り去られることがあるのではないでしょうか。けれども、逃亡者への愛、それは背き続ける者に対する絶えることのない御霊の語りかけです。そこは、人によっては補えない一番大切な席なのです。一番大切な席に主をお迎えして、「立って、あの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。」(ヨナ書1章2節)。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。」(イザヤ43章1節2節 旧1237)御霊が語られるところに、「アーメン」(その通りです)とお答えしてみませんか。

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