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| 「礼拝できないほどの罪からの回復」(ヨナ書2章4節) ( 10.26/2025 ) |
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「私は言いました。『私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』」(4節) 'I said ‘I have been driven away from you. But I will look again toward your holy temple in Jerusalem.`(Jonah 2:4) 「私は御目の前から追われました。」時代は罪の中にあります。けれども、御霊は今も聖書を通して語り続けてくださっています。≪いったい何を悔い改めろとおっしゃるのですか≫という声が聞こえて来そうに感じるのですが、聖書を通して語られる御霊の声に聞き従ってこなかったことを悔い告白し改めればよいのです。 1.罪の深みの祈りの場 マタイ14章12節13節の「寂しいところ」とは、14章23節によりますと祈りの場です。ヘロデの罪を指摘したバプテスマのヨハネの殉教を聞いた主イエス様は祈りの場へと退かれました。ヘロデの罪のような世の罪の中に生活し海草が頭に絡みついてお先真っ暗でも(ヨナ2章5節6節)主イエス様がいてくださる祈り場があります。 2.飾る必要のない祈り場 空しい世界がある一方、恵みの世界があります。空しい偶像に惑わされたことを認めて主の御前に悔い改めるならば(ヨナ書2章8節)、もう一度、いや何度でも主の恵みの世界に入れられます。 3.罪の赦しの祈り場(6節〜9節) 昔、黒田先生、貴志先生、鷹取先生という牧師先生方がおられました。その先生方のお顔から溢れていたのは主の愛と恵みでした。先生方は引退され現在も立派な先生方が立てられていますが主イエス様は今も現役です。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23章34節)と祈ってくださった主イエス様は今もご自身の血潮で聖霊によってとりなしてくださっていますから、ガラテヤ1章16節にございますように地のかんぬきが永遠に下ろされた時(ヨナ書2章6節)が祈りの時、主の御顕現の時です。 罪の中からでも祈り主の御顔を仰ぎましょう。主の御顔には今も愛と恵みと新しい世界があります。聞きっ放しではなく主は魚に命じて、ヨナのいのちを滅びの穴から引き上げ(ヨナ書2章6節)、彼を陸地に吐き出させて下さいました。(ヨナ書2章10節) ≪あなたは決してゆるされない≫と語る「その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。」(1ヨハネ3章8節)「ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。」と祈ってみませんか。 |
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