「見ておられる神」(ヨナ書3章10節) ( 11.23/2025 )
「神は彼らの行いを、すなわち、彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。」(10節)
'God saw what they did. He saw that they stopped doing what was evil. So he took pity on them. He didn’t destroy them as he had said he would.`(Jonah 3:10)

ある小説に、「自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」という言葉が出て来ます。欠けているのは神です。またある人は己れの代わりに親と思っておられるかもしれません。けれどもやはり欠けているのは神です。神は2歴代誌16章9節「主はその御目をもって全地の隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現わしてくださるのです。」もう一つ大切なことは、ヨナやハナニのようにみことばを伝える者です。ローマ10章14節「しかし、信じたことのない方を、どのようにして求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。」とあります。ニネベのためには神はヨナを遣わされました。このヨナ書3章はニネベの民の悔い改めの記録です。

1.神の存在(2節) 
神は悪の道と横暴を嫌われ、滅ぼされるお方です。

2.結末を見届けてくださり思い直してくださる神(10節)
6節「王服を脱ぎ捨てて粗布をまとい、灰の上に座った。」ニネベの人々の罪とは、悪の企み、搾取、残虐行為、淫行、呪術などでしたが彼らはそれらを捨てて悔改めたのです。(ナホム書より)

3.悪から立ち返る決断をして着替えること(8節)
神の存在を知的に認識するだけでは問題は解決しません。神を神として崇め従う人生へと踏み出し、神に見届けていただかなければわざわいを思い直していただくことはできません。

福岡教会、通称油山シャローム教会(福岡県福岡市城南区東油山6-15-9)では、デイリーデボーションノーツというものを聖書通読に使っておられます。その内容は、1,何を記しているか(聖書の内容)2.中心メッセージは何か(使信)3.私に対するメッセージは(適用)4.中心聖句 5.私の祈り(決心)となっています。すなわち、決心が必要です。御霊に従い始めて初めて神の目が私たちに留まるのです。

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