「まことの光」(ヨハネ1章1節〜14節) ( 12.15/2025 )
「すべての人を照らすまことの光が、世に来ようとしていた。」(9節)
'The true light that gives light to everyone was coming into the world.`(John 1:9)

多くの日本人にとって光とは隣人の目かもしれません。ですから偽りの光によってしばしば誤ってしまいます。例えば周りの目が自分の価値を決めてしまうのです。しかし、まことの光は社会ではなくイエス・キリストです。イエス・キリストは、

1.ことば(ヨハネ1章1節)

主イエス様は「ことば」と紹介されています。創造主である神は私たちにその思いを伝えるためにことばを使われます。主イエス様は神の完全な心の現われとなってくださいました。また、2節「神とともにおられた」主イエス様は三位一体のひとつの位格をお持ちです。そしてすべてのものの造り主です(3節)。

2.悪魔の子を神の子にしてしまうお方(ヨハネ1章12節)

ヨハネの福音書3章16節には「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」とあります。神だけは私たちを見捨てることをなさいません。いつまでも赦し続け、愛し続け、期待し続け、信じ続けてくださっています。その証拠が御子イエス様のご誕生です。すなわち、照明のスイッチを押したら光が灯るように、私たちが良いことをした瞬間ではなく主イエス様を信じた瞬間に悪魔の子が神の子に変えられてしまうのです。そして口から主イエス様への賛美が湧いてくるのです。スイッチの押し方はどうすれば良いのでしょうか。神が私たちを信じて御子をお与えくださったのですから、私たちも神の御子イエス様を信じ始めるのです。その瞬間に光が灯ります。

3.内住のお方(ヨハネ1章14節)「住まわれた」

私が乗っている自動車は2010年に作られた車で、右側面も左側面もへこんでいます。けれども私が購入した1年半前には既にへこんでいたのです。私たちの肉体も嗜好も様々です。しかし悪魔の子を神の子としてしまう主イエス様は御霊に従った瞬間から私たちの内にお住まい下さったという実感と喜びを下さるのです。ただ、いっぱい故障しているので一つ一つ御霊の光に従って新しい所有者であられる主イエス様に自分の主権をお渡ししていかなければ、異音を出し、走れなくなり立ち往生してしまうのです。では、御霊に従う生涯とはどんな生涯なのでしょうか。戦後、すべてを焼かれてしまい散り散りになった信徒さんを捜し歩いて、片足を切断しなければならなくなるほど歩き回って主に仕えた牧師先生がおられました。この先生は歩けなくなった最期の半年間の間にも、病床に寝ている状態で訪ねて来られた弟子の先生方に主をお証しくださったそうです。ガラテヤ2章19節20節「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」

祈り断食し従い様々な場面で主の御顔を求めるのですが、内に住まわれるお方が導かれるところは主イエス様だけが輝かれる所です。ヨハネの黙示録21章23節「神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。」

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