『ここまでされた愛』(ヨハネ3章16節〜21節) ( 12.21/2025 )
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」[16,17節)

'God so loved the world that he gave his one and only Son. Anyone who believes in him will not die but will have eternal life. 'God did not send his Son into the world to judge the world. He sent his Son to save the world through him.`(John 3:16-17)

序.

クリスマスおめでとうございます。神の子イエス・キリストを私達に贈ってくださった神の愛をおぼえたい。

1.ここまでして

この聖句は「ここまでして神は愛してしまった」という語で始まる。何が起こったか?神が神の子イエスを、ただ一人の、失っては代えがない、その子どもを、この世に住む私たち人間に与えてしまった、というそこまでされた神の愛。

自分のたいせつなもの、失ったら二度と手に入らないもの、それを他人に与える人はそういない。まして、自分の子を他人のために死に渡す。ありえない。 

2. 滅びないため

神が神の子を世のために送り、十字架におかけになった。そこまでしなければ、人は「滅びる」のか?

人は、政治や、他人の悪い所は大きな声で論じる。社会の悪、聖書の疑問、文句を口にする時、…「私はどうしてそこが引っかかるのか?」と自分に問いかけてみると、自分の心の奥に秘めている深い問題に目を向ける。私が解決してほしいことは、その究極は、実は自分のこと。「闇を愛した」。「悪を行う者はみな、明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない」。自分に目を向けられるのが怖いから、一生懸命、外に目を向けさせようとする。しかし、神はそこを処置したいと願われる。「津波てんでんこ」。救いは個々人。締切りがある。

私もクレジットカード依存の罪が示された。「私達すべてのために、ご自分の御子をさえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ロマ8:32)
罪はどんなにも言い訳できる。しかし、神の光の中に照らされ、神の喜ばれない罪を悔い改め、生かしていただこう。

3.罰するためでなく、生かすため

「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」。私たちは神は怖いかただと思って、敵対する。
ヘボンは医者であり宣教師。その時代の人々は彼を警戒し疑い、乱暴しようとした。しかし、キリストが私たちを愛し、十字架以外に人が救われる方法はないことを身をもって伝えた。私たちの無知のため、神がここまでしなければ救われない罪。そこまでして愛していのちを与えた神に悔い改め、救っていただこう。

(説教者;田代美雪牧師)

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