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| 「神の哀れみが勝つ」(ヨナ4章11節) ( 1.19/2026 ) |
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「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」(11節) 'And shouldn’t I show concern for the great city of Nineveh? It has more than 120000 people. They can’t tell right from wrong. Nineveh also has a lot of animals.`(Jonah 4:11) 神の哀れみとはご聖霊です。ただこのお方様が自由に働かれるなら。 1.あらすじ この4章においてヨナは二度怒ります。最初は1節わざわいを思い直された神の処遇について、二度目は9節唐胡麻を枯らされて太陽に照りつけられて弱り果てた時に怒ります。けれども、神のお言葉は虫に噛まれて一夜で滅びる唐胡麻よりも右も左も分からない人間と家畜が惜しいというものでした。 2.唐胡麻対神の哀れみ 現代に生きる私たちにとって唐胡麻とは何でしょうか。恐らくお金や健康ではないかと思います。すなわちこれはお金対神の哀れみです。ヨナは自分の心を神の御思いに寄せ、神と一つとなることができませんでした。ここに神とヨナとの対立があります。これは私たちと神との対立でもあるのではないでしょうか。 3.弱り果てた者への質問 では、どうして神と人間との対立が生まれるのでしょうか。この4章が指摘しているのは8節の「弱り果て」であります。唐胡麻がなればヨナは太陽から自分を守るすべを持っていなかったので、弱り果てて死を願ったのです(8節)。 イスラエルの民は出エジプト記16章35節によりますと40年間マナを食べました。ところがペンテコステ以降クリスチャンたちに転機が訪れます。マナを求める人生から、神のみこころと一つになって自分をマナとして神と人々に与える人生に入れられたのです(マタイ22章37節〜39節)。 エゼキエル書47章6節には「あなたはこれを見たか」と質問されています。お金がなければ生きていけず弱り果てて死を願ってしまう弱い私たちに「あなたはこれを見たか」と質問されています。エゼキエル書47章3節足首、4節腰、5節渡ることのできない川という具合に次第に深く聖霊が流れるのを見たかと質問されています。(ああ彼さえ憂えしめられずして共にいましたならば、彼さえ自由に流れ、実際に働きたもうならば、…皆様は常に深まりゆく量においてご聖霊を所有しなさることができます。) 澤村五郎先生という関西聖書神学校の初代校長先生はエペソ1章3節「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」を祈りのうちに与えられ大正6年(1917年)以降(爾来、最高最善の賜物なる御子ご自身を内にあがめて満ちたらわしめられた…一切心は満ち足りてしまって何も欠けるところがない)と証しされていたそうです。(神はすでにすべての霊の恵みをもって恵んでおいでなさる)のです。あなたはそれを見たか。神に己を明け渡し、御子を心のうちに崇めてみませんか。 ( 小島伊助著 小島伊助全集7 いのちのことば社 283頁、301頁) |
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