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| 『キリストにあって』(コロサイ2章4節〜10節) ( 1.29/2026 ) |
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「キリストにあって歩みなさい。」(6節) 'You received Christ Jesus as Lord. So keep on living your lives in him.` (Colossians 2:6) 序. パウロのコロサイ教会に対する親心を見てまいりたい。 1.パウロの親心 (:1-3) いよいよ、2章から、コロサイ人への手紙の本題に入る。そこには、パウロのコロサイ教会への心配と訓戒が語られている。 「直接顔を合わせたことがない」。「直接」、言語では「肉において」。コロサイの教会の信徒は、パウロが会ったことのない人々。いわば、お節介。元は自分の責任の範囲ではない。しかし、自分が伝え、生まれ変わったエパフラスが宣教して生まれた教会の群れだったので、いわば孫のよう。その孫達に危機が潜みこもうとしている。間違った教え。純粋な福音とは異なる「臭う」教え。何か違う。それに「かぶれる」ことのないようにと、パウロは激しく心配している。祈りにおいて苦闘している。「心に励まし」。「訓戒」のこと。「結びあわされ」、「教えられ」とも訳せる。この場合の「心」は知識を受け取るところ。正しい知識によって、正しく訓練したいと願っている。 悲しみ、苦しみ、ストレスの時、手軽な慰めの言葉に惹かれる。しかし、福音と同じ方向を向いていない教えは返って、せっかく生まれ変わった信仰者の心を弱らせる。良くない食事は骨を弱らせる。リハビリのように、聖書の「訓戒」は厳しくても、その背後にある愛を信じて、痛みながらもトレーナーに従う時、必ず体(霊)はよくなる。甘い言葉で滅びに招く情報が世に満ちていることへの激しい心配と勧告。 2.肉体は離れていても、霊において共にいる パウロは今、監獄につながれている。羽があったら飛んで行きたい気持ち。 私達も距離は離れていても、たとえ天国に行っても、霊において祈ることができる。祈りによって共にいることができる。私達もどれほど祈られているか。 「親心、子知らず」。なかなか祈ってくださる方の心がわからない。自分勝手。 また、身近な情報に振り回され、裏切られ、ストレスを感じる。 しかし、もう一度、祈ってくださる霊の親、さらに父なる神の心を思い出す時、 「初めの愛」を思い出すことができる。迷った時は、もう一度戻ること。 そこにイエス様は待っておられる。 3.キリストを中心に この時の、「空しいだましごとの哲学」は今は存在さえしない。私を迷わせるような教えはいつか必ずすたれる。そのようなものに振り回されやすい。だから、いつも正しい福音からよそみをせず、聖書から離れてないか、生活を吟味していこう。間違った教えに従うと、必ず、疲れが現れるから。イエス様中心はその時耳に痛くても霊的健康。「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である。」(イザヤ45:7)このおかたを中心にする時、すべてが意味をもってくる。後知るべし。 (説教者;田代美雪牧師) |
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