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| 「愛の結合」(1サムエル18章1節〜4節) ( 2.10/2026 ) |
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「ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」(4節) 'Jonathan took off the robe he was wearing and gave it to David. He also gave him his military clothes. He even gave him his sword his bow and his belt`(1 Samuel 18:4) 社会にはいろいろな人がおられますが、何でも一番が好きな人もおられますし、2番目3番目くらいが好きな人もおられます。では、クリスチャンとはどんな人々なのかと考えますと何でも神様にお任せしてしまう人々です。(病気や失業は困ります)と感じますけれども、すべて神様にお任せして神様によしとされることを求めるのです。 ヨナタンという初代イスラエルの王サウルの息子は王子でありながら牧羊者のダビデに自分の剣も弓も帯も与えて全てを譲りました。律法を守ることにより自分のみじめさを知っていたパウロ(ローマ7章28節)も(キリスト・イエスを自分の主と知ることができた知識の極めて優れたことのために)神に受け入れて頂くために大切にしていた一切を捨てて主イエス様に結びつきました(ピリピ3章8節、義認 使徒の働き13章38節39節、ローマ3章21節22節、きよめ ローマ8章5節〜10節参照)。 すなわち、ヨナタンがダビデにすべてを委ねて平安を得たように私たちも主イエス様に全てをお委ねしたら罪からの救いが得られるのかと思うのですが、一つ大切なことがあります。それは、ヨナタンがダビデと契約を結んだように、パウロが御霊に導かれて歩んだように(ガラテヤ書5章24節25節)、私たちも御霊をお認めし崇めお従いする人生を始めなければなりません。 昔、現場で働いていた頃、「バックホーを運転できるようになりたいな」と私が口走ったのを聞いていたある社長さんがバックホーを持って来てくださり、「自由に使っていいよ」と貸してくださいました。私は怖くてエンジンをかける勇気もなく数ヶ月間放置してしまいました。でも、その社長さんと私の心は平安だったのです。 私たちが神様に全てをお任せして歩み出しても何もできないかもしれません。けれども、主イエス様と心が一つであれば良いのです。何ができてもできなくても心配は無いのです。 バプテスマのヨハネは短い生涯を迫害のために閉じました。けれども、彼の人生は多くの実を結びました。それば、世の罪のための神の子羊を指し示したからです。聖書の証言はバプテスマのヨハネは何のしるしも行わなかったけれども、彼が主イエス様について語った証言はその通りであったと多くの人々が認めたと言っております(ヨハネ10章41節参照)。彼の証言とは「見よ、世の罪を取り除く神の羊」(ヨハネ1章29節)でした。今日も主イエス様だけが私たちの人生から罪を取り除いてくださるのです。ゴリアテとの戦いの準備をするのではなく勝利者であられる主イエス様と合体しましょう。 (参考図書 小島伊助著「聖顔の輝き 第2巻」いのちのことば社 34頁〜38頁) |
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