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| 「良くなることを願いますか」(ヨハネ5章1節〜9節) ( 7.6/2026 ) |
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「イエスは彼に言われた。『起きて床を取り上げ、歩きなさい。』」(8節) 'Then Jesus said to him “Get up! Pick up your mat and walk.`(John 5:8) 主は、ヨハネ5章から10章までユダヤ人の儀式の真理、すなわち実体を示しておられます。4章24節に「神は霊ですから、神を礼拝する人は御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」と言われ、真理によって神を礼拝すべきこと、すなわちひな形ではなく実体を守るべきこと、5章では安息日の実体は主イエス様であること、6章では真の過越しの祭りは主イエス様であること、7章から10章は真の仮庵の祭りは主イエス様であることを教えています。 17節「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」の意味は何でしょうか。3節、世界は罪と化し病人が満ちています。神はいつ安息されるのでしょうか。それは6日間働かれその完全な結果を見て安息されます。ですから安息日は表面上の安息日で、神は罪に亡んでいる人を癒される時に安息されます。これが5章の意味です。今主は病人の真ん中に立って安息を与えてくださいます。へブル4章3節に神は完全な安息を備えてくださったのですが、へブル4章5節には「彼らは決して、わたしの安息に入れない」とあります。罪のためです。神はイスラエルを選ばれカナンが新しいエデンの園になることを願われましたがへブル3章19節によりますと、彼らは不信仰のために土地に入ったのに神の安息に入ることはできませんでした。 しかし、全く安息を失ったのではありません。へブル4章7節「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」その後にご自分の安息に人間を招いてくださいます。もし、その御声を聴きますならば只今神の安息に入ることができます。エデンを追い出され、カナンにて得られなかった安息を今信仰によって得ることができます。主イエス様が真の安息です。私共はその安息に与ることができます。 ヨハネ4章26節に、「イエスは言われた。『あなたと話しているこのわたしがそれです。』」とサマリアの婦人に栄光を現わされ、4章43節ではガリラヤのカナで、5章1節ではエルサレムで栄光を現わされます。汚れた地でも、人に属する地(奇跡を求める)でも、儀式的な礼拝に耽る地でも主はご自分の救い主であることを示してくださいます。けれども、不信仰によって生命の源なるお方を離れましたから、癒しを受けることできませんでした。しかし、この男は扶助者がありませんでしたし、自らの力も残っておりませんでした(詩篇72篇12節)。神はご自身の恵によってそのままで救ってくださいました。儀式でなく、祈って主ご自身に目を注いで主に求めましょう。 (参考図書;B・Fバックストン講述 「ヨハネ伝講義」 バックストン記念霊友会 87頁〜95頁) |
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