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| 「救いとは」(エゼキエル書1章28節) ( 7.27/2026 ) |
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「その方の周りにある輝きは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに主の栄光の姿のようであった。私はこれを見て、ひれ伏した。そのとき、私は語る者の声を聞いた。」(1章28節) 'The glow around him looked like a rainbow in the clouds on a rainy day. That’s what the glory of the Lord looked like. When I saw it I fell with my face toward the ground. Then I heard the voice of someone speaking.`(Ezekiel 1:28) 救いとは受けることではなく、与えることです。当然、どちらに喜びがあるのかと申しますと、受ける側ではなく与える側です。受ける方は与えるために神様が備えてくださるのです。 第二回の捕囚でバビロンに引かれて行ったエゼキエルはエルサレムの神殿で神を礼拝したかったと思うのですが、奴隷の立場になってしまい神殿で神を礼拝することはできませんでした。しかし、神は彼のためにケバル川のほとりで天を開き幻を見せてくださいました。神はどんな逆境に陥ってもご自身を現すために天を開いてくださるお方です。 本日も、聖書を通して神は天を開いてくださいます。かつて聖書通読するたびに天を開いてくださった神は本日もこのエゼキエル書を通して天を開いてくださいます。 1.聖なるしもべ(1章4節〜25節) 彼が見せられたのは聖なるしもべの姿であり、彼らは霊のまにまに進んでいました(12節)。四つの顔は人、獅子、牛、鷲は(黙示録4章7節)智恵(同情)、勇気(力)、忍耐(奉仕)、迅速(高挙)等を表していて、神はエゼキエルにも同じ力、同じ愛、同じ焔、同じ服従を与えたいと願っておられました。 2.人の子(1章26節〜28節) ダニエル7章9節によりますと、このお方は神であり、焼き尽くす火であり(27節)、恵みの契約の主です(28節)。私たちは今まで主の十字架によって神との平和を得、主の復活によって罪と死に打ち勝つ力を見て参りました。けれども、サファイアの王座に座し給う主イエス様を見ますと、そこに平和の契約の虹がかかるというのです。罪の赦しのしるし、私たちと同じ人間の性質をもって下さった主イエス様の同情を見るのです。そしてその王としての権威を見るのです。 3.一つの巻物(聖書)(2章3節) そこには2章10節嘆きと、うめきと、悲痛が記されています。「しかし、もしあなたがたが正しい人に、罪を犯さないように警告を与え、彼が罪を犯さないようになれば、彼は警告を聞いたのであるから、彼は必ず生き、あなたも自分のいのちを救うことになる。」(3章21節) 神はあなたを聖なるしもべ(1章5節)、虹(1章28節)、神の代弁者(3章11節)にするために天を開いてくださっています。 キリスト教会は毎年文化庁に活動報告を致します。集会出席者数と共に奉仕者数も報告致します。本当の教会の姿は集会出席者数ではなく奉仕者数に表れています。なぜなら、反逆の家と呼ばれる方、皆さんを怯えさせるような方もおられるからです(3章9節)。聞いても聞かなくても語り続けましょう。どんな逆境にも「あなたの敬虔さは、あなたの確信ではないか。あなたの誠実さは、あなたの望みではないか。」(ヨブ4章6節)と揶揄されるほどに、そして「あたかも麦束が、時が来ると収められるように」(ヨブ5章26節)の声が聞こえる時にも、キリストの復活を覚えキリストが歩まれた道を歩みましょう。それが奉仕者です。救いとは受けることではなく、与えることなのです。いつでも従順と平和と聖書のことばを与えましょう。虹のような救いの喜びを神にささげましょう。 |
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