「最後のおことば」(マタイ28章18節〜20節) ( 8.16/2026 )
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(20節)
' And you can be sure that I am always with you to the very end.`(Matthew 28:20)

わたくしが学生時代ご指導いただきました先生から頂いたみことばはヨハネの黙示録2章10節「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。」でした。そして生まれたときからずっとお世話になった先生からは最期の言葉を聞きそびれました。けれども、そのご葬儀でいただいた資料によりますと、マルコ9章23節「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」であったと思います。けれども、主イエス様の最期のご命令はとても明確です。それが、マタイ28章18節から20節です。

そしてここに、3つのメッセージが含まれております。

1.主イエス様の自己紹介

まず、17節この時、主イエスのそばにいたのは主イエス様の復活を疑っている人たちでした。すなわち、弱い、不安定な、迷ってしまう、信仰の薄い人たちに近づいてくださいました。昔は熱心でしたが今は不信仰で礼拝も出席していないし、ショボショボの信仰ですという方がいても、安心してください。あなたは見捨てられていませんという意味です。弱っている原因は祈れないからでしょう。祈れず祈っていない人にもあなたから近づけなくても主が近づいてくださるのです。エレミヤ31章3節「主は遠くから彼に現れた。『永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。』」詩篇50篇15節「苦難の日に わたしを呼び求めよ。 わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる。」押されたら倒れてしまう弱い私たちに主が自らを現わしてくださって、
19節「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」すなわち、宇宙の中で権威を持っているのは他の誰かではない私だと仰ってくださっています。人生にはいろいろな波が来ます。そして恐れることはあります。けれども、一切を治めておられるのは私たちの贖い主、十字架の上で血を流して悪魔の手から買い戻してくださった主です。
愛の神、復活されて今生きておられる主イエス様が近づいて来て「ですから」と言われるのです。出て行くんですよ。引き籠るのではないですよ。過去の経験に支配されてしまって、かいまき布団の中にいる人のように身動きできない中にいる必要は無いのです。過去の経験、不合格など、誰でも上手くいくことばかりではありません。いざという時、過去が思い出される。言うことは簡単ですが、悪いことを思い出してしまいます。そんなとき、神様のみこころがどんなに励ましになるでしょう。心配の先取りをしてしまうときに、不安が募る時に。逆に合格した時に何をもって主に栄光を帰すか。失敗の時にも落ち込むだけなら未信者と一緒です。合格した時も神様の奇跡、恵みに対して神様に栄光を帰すこと「あなたに栄光を帰します。」神様の栄光によってクリアしてきたこと、恵みを思い起こすことが大切です。波が来る時にも、恵みを思い起こすのです。詩篇118篇1節「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」神様の恵みはこれにて終了ということはありません。末広がりの恩寵の世界です。栄光を主に帰していきましょう。

2.伝道しなさい

今日愛する大分福音教会のメンバー全員に主は命じておられます。「ですから、あなたがたは行って」と。すなわち伝道とはひとりのスターがしてくれることではありません。神様のご期待は全員伝道です。教会に大きい教会小さい教会があるのと同じように、教会にはさまざまな方々が導かれています。毎週信徒さんたちが心込めてお掃除してくださるので美しく保たれております。これが伝道です。主を礼拝するにふさわしい所として保つことが大切です。目立たない奉仕、銃後の守りが大切です。お掃除してくださることも説教することも隠れた所でトラクト一枚を配布することも同じです。喜んで祈って支えてくださる隠れた方々の奉仕で伝道は進んでいます。皆さんがささげてくださっているささげ物で伝道は進んでいます。イエス様の十字架を共に背負って進みましょう。

3.あなたがたと共にいる

資金は心配するなと言って下さっているのではなく、どんどん人が救われるから伝道せよと言われたのでもなく、わたしの臨在が共に行くからと言ってくださる。この教会に対して、イエス様を伝えるために出て行くときに主は「わたしはあなたと一緒だよ」と言ってくださるのです。マタイ28章20節、世の終わりまでとことん。モーセを派遣された主。「わたしがあなたと共にいる」。モーセが亡くなってヨシュアが立てられたとき、「モーセと共にいたようにわたしはあなたと共にいる。あなたは、恐れてはならない」あなたは決して孤児になることはない。あなたは見捨てられることはありません。たとえ殉教することがあってもそれは、必ず実を結びます。ステパノが殉教した時、石を投げていた人たちの服を預かっていたサウロ(後のパウロ)の心は揺さぶられたのです。それは、サウロは殺されながらも主を仰いで敵を赦し輝いて死んでいったからです。サウロはその時には人を殺すほどに激高しておりました。けれども、ステパノが殉教していく姿を見た時に少なからず動揺して、時至って彼も回心するのです。使徒の働き26章18節「闇から光に」彼は新しい神の人に変えられていくのです。そしてあの地中海沿岸に福音を満たしていく偉大な器になるのです。これが神共にいますという意味です。これにまさる恩寵、保証があるでしょうか。私は信じます。私たちのこの教会は今までもそうでしたが、これからも出エジプト3章12節、出エジプト33章14節「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」「見よ。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたともにいる。」アーメン。
(参考;油山シャロームチャペル 横田武幸牧師の説教)

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