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| 『すべてを治める神』(マルコ4章35節〜41節 ( 9.20/2026 ) |
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「一体この方はどなたなのだろう。風も湖さえも従うではないか。」 (41節、共同訳) 'They were terrified. They asked each other “Who is this? Even the wind and the waves obey him!”`.(Mark 4:41) 序.悩みから解放してくださる神を見てまいりたい。 1.離れられないものからの一線 「その日、夕方になってイエスは弟子たちに『向こう岸へ渡ろう』と言われた」。 わざわざ湖を通られた意味があった。群衆から弟子たちを引き離すため。 「湖」静かになれる場所。神の安息。私たちはつい「続けて」しまう。それが自分も周りも疲れさせる。「一線を引く」。人から離れ、思い煩いをやめ、やるべきことを止め、願望を一旦離れ、神にすべてを預ける。自分自身を委ねる。「神と二人きりになりなさい」(バックストン)。神の元に退く。安息日であり、休息。時間の流れにすき間を作る。 そのために、神はあえてあなたを他のものに頼る状況から引き離される。「ほかの舟」は嵐で引き離された。試練は「私」の思いと違っている。しかし、その「時」も、神以外のものから私を離し、神にのみ依り頼むための深い配慮。 2.「上から落ちるもの」が私を悩ませる 「波が舟の中にまで入り、」。ここの「入り」は「上に置く」の意味。津波や浸水が怖いのは「ここまで」という防波堤が破られるから。人間の支配を越えてやって来る。「死」は人の手に負えない。「どうすることもできない」。実は人間がコントロールできることの方がわずかでしかない。人間の造った人工物の中で生活するとそれを忘れる。自然に出ると何もコントロールできないことを知る。 しかし、人間が制御できない力を神は御手の中に治めることができる。この神の力強い御手の中に握られている者は、嵐の中でも「平安」でいられる。 ジョン・ウエスレーが見たモラビア兄弟団は水が胸にまで浸かって来る船室で、騒がず礼拝していた。それを見た人々は静まり、共に礼拝に加わった。そして嵐は静まった。ウエスレーは自分にない「救いの確信」を求め、後に得た。 3.一番従っていないのは「私」自身 主が「しゃべるな」「口を閉じろ」と叱られると、風は力尽きて止まった。 私達の不安を大きくするものは「目に見えないもの」。「わからない」。それが波を大きくする。主イエスはその根本を見抜いておられ、そこを止められる。神にはすべては「わかっておられる」。 「神は見えないから、神がいることを信じられない」と言う。天体の全体を見ることはできない。しかし、模型を通して教えられてそれがあることを「信じる」。分子も見えない。しかし模型で理解する。神は神と心を一つにした信仰者によって、聖書や生き方や歴史、自然という模型を解説し、神を教えてくださっている。自然は神に従う。しかし、私が一番神の御言葉を信じないで従わない。すぐに不信仰になる。私が神にまったく従うことが「御国」が建設される第一歩。 自分のために神を持つのでなく、私のすべてを神の御手に治めていただこう。 (説教者;田代美雪牧師) |
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