『救いはこのような者たちのもの』(マルコ10章13節〜16節) ( 10.25/2026 )
「『神の国はこのような者たちのものなのです。』」(14節)

‘God’s kingdom belongs to people like them.` (Mark 10:14)

序. 人生の救いに入るために子どもたちの姿から学びたい。

1.高ぶる者は天国にふさわしくない

主イエスはこの時、十字架に架かる直前でした。主イエスを慰めたのは、子どもたちのような小さい者たちの存在でした。

子どもたちはどのように小さいでしょうか?誰かに「連れ」られてでないと一人で主イエスのところに来れない存在。そのような小さい存在にイエス様は尊と過ぎてもったいない。「大人になって話が聞けるようになってからイエス様の所に来なさい」と弟子たちは追い返そうとしました。しかし、イエス様はそのことにお怒りになりました。「あなたたちは自分が何者だと思っているのか?この中で誰か誰かに連れてこられなかった人がいるか?」ペテロはアンデレにアンデレはバプテスマのヨハネに。マタイはイエス様から直接に。みんな誰でも、招かれずに来た人はいません。しかも、「この世でなきにひとしい者をあえてえら」んで、今ここにおらせていただいている。すべて神の愛と赦しのゆえではないのか。誰が誰かに偉そうにいばっていられる人がイエス様の周りにいられようか。
「弟子達よ、お前たちが間違っている。あなたが救われたなら誰でも救われる」

2. 子どもは信頼の先生

宣教師、伝道師の伝記を読むと、伝道のきっかけは子どもを通してであるのをよく見る。アフリカのリビングストン、中国のハドソン・テーラー、日本のヘボン、賀川豊彦…。大人は異種の物に対して怪しむ。疑う。恐れる。どんなに良い教えだとわかっても、自分の安全を脅かすようなら決して首をつっこまない。
しかし、子どもは良いと思うものに近づく。自分の勘を頼りに信頼する。安心できるなら居続ける。失うものが少ない。自分を愛してくれる存在に安心する。

大人は「ただ」を恐れる。しかし、本当に大切なものは「ただ」で受けているではないか。空気中の酸素濃度は20%。酸素濃度が高いと臓器が酸化する。窒素で薄めてくださっている。足の指は最小の大きさで大きな体を保てるように造られている。神の愛をただで受けて生かされているのに、神はわからないというのは母胎の中に赤ちゃんが生きていて、親に生かされているなんて信じない、というのと同じ。神の愛をただで受けて生かされているのに、「罪の赦しは神さまから受けるだけですよ。イエス様が完成してくださった約束を受け取るだけです」と言っても、「いえ、自分で努力して救いを得ます」というのは傲慢。

3.マルコも「連れられて」神の仕事にたずさわった人

福音書のマルコも「連れられて」神に仕事に加わった。こどもの中に第二のマルコがいただろう。私達も神の福音の証し者になりたい。
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩編37編)
(説教者;田代美雪牧師)

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